パソコンに求めたもの --前編

今メインで使っている環境が Linux であることを度々とりあげているが、なぜわざわざ Linux を使うのかと問われることがある。Windows に飽きたとかセキュリティーに不安があるとか答えているが、実は話が長くなるので今まで言わなかったことがある。

まず、僕が最初に Windows から離れようとしたのは5年くらいさかのぼる。当時、新品で買った ThinkPad 235(別名:チャンドラー2)の性能が時代後れになって来たのと、出張を重ねて仕事になれて来たころでもあり、勉強がてら PC UNIX を始めてみようと思ったのである。この時にインストールしたのは Linux ではなく、この時点でノートPCへのインストール事例が豊富だった FreeBSD。ちなみに ThinkPad 235 が自費で始めて買った新品のPCで、それ以前に中古で買った ThinkPad 230Cs から4台全てが ThinkPadIBM が PC 事業を中国の企業に売却したニュースは個人的にも一つの時代が終わるものだった。
話が逸れたが、自分にとっての"時代"が終わったのはこれが初めてではなく、パソコンを手にしたら標準で付いているものと思っていた開発言語が別売りになった時である。そしてそれが PC UNIX を始めるきっかけにつながって行く。

初めて触れたパソコンが、雑誌が復刊されたりワンチップ上に実装されたりしてにわかに盛り上がりを見せているMSX。これは起動と同時に MSX-BASIC が立ち上がるので、BASIC が OS そのものと言える。次に CASIO のポケットコンピューター PB-110。これも BASIC でプログラムを組める。関数電卓ではなく、わざわざポケコンにした。そして当時の国民機、PC-9821 の登場。Windows 3.1 がプリインストールされた初期のころで、このころから N88-BASIC が外された。雑誌に掲載されているゲームプログラムを打ち込むとか、何かちょっとしたプログラムを組みたいと思っても、別売りの言語を購入しなくてはならないのは学生という身分プラスそれまでの経験からあり得ないこと。試用版の LSI-C や、NIFTY SERVE のフォーラムに参加して CD-ROM の巡回で手に入れた UNIX 互換の DJGPP といった C 言語が頼みの綱だった。

そういうお寒い状況の中で、PC UNIX は標準でプログラミング関係が豊富に提供されていて、パソコンがパソコンらしさを取り戻す存在だったのである。これからは皆さん御存じのように、パソコンは家電に向かって行く。携帯電話にコンピューターウィルスが感染する時代である。

さて、次は半田ごて握ってハード方面かな。